自己紹介

一級建築士安田昌弘写真1955年、京都生まれ。一級建築士。設計事務所に勤務後、宮大工の棟梁に弟子入りして寺社建築に取り組む。その後は個性派賃貸マンションや個人住宅の設計・建築に従事。デザインと耐震性、防音など見えない性能の両立を図る。

現在は、地球環境を守り、健康・美容にもバツグンの機能を発揮し、さらに長持ちする外断熱の家の普及、啓蒙活動に注力。最近は一般住宅だけではなく、医師の支持を受けて外断熱の病院建設も多数手がける。一方で、日本の年金制度を危ぶむ観点から、「収益住宅」を考案・提唱し、自らも実践している。

性格

正義感が強い。こうと思ったら曲げない。ブレナイ。つまり頑固

だけどその頑固さは、100%お客様の味方になって喜んでもらうためなんです。ですから私の考えを、お客様に押し付けようとは思いません。

感動しやすい。そして涙もろい

なでしこジャパンすばらしい芸術に出会うと感動し、涙してしまします。周囲を気にせず・・・。経営コンサルタントの神田先生によると「芸術とは、莫大な時間とエネルギーを掛けて創り上げたものを、短時間で披露すること」だそうです。では、どんなとき感動し、涙するのか・・・それは

  • 小さなものが大きなものを倒したとき
  • 輝かしい結果を出した人の下積みを知った時
    • 期待されると頑張ってしまう

      みなさんもそんな一面をお持ちかと思いますが、私の場合、ちょっと極端に張り切ってしまうらしいのです。「パパを扱うのは簡単」と女房が言ってました。

      本当に良いと思うものでも、人に勧めるのが苦手

      本当に良いものはみんなに広めていくべきなのに、「自分の利益のために言っているのだ」と思われそうな気がして嫌なんです。でも、ちょっと変えてみようと思います。本当に良いものは一人占めせずにお知らせしていこうと思います。そのうえでご判断なさるのはそれぞれの方ですもんね。

      ハワイフリーク

      自宅正月パラダイス私が始めてハワイに行ったのは1974年。1ドル308円の時代。日本のバイトが自給280円。ハワイのバイトが自給5ドル(1540円)なんと5.5倍だった。当時の日本は今の中国のレベルだった。そんなときにハワイ大学へ短期語学留学なんて、私はほんとに恵まれていた。

      日本での下宿は焼けた畳の4.5帖と臭い共同便所。風呂無し。ハワイではホテルライフ。”Is here a hotel?” “No, here is a domitory” ド、ド、ドミトリー? 寮? 寮だったのか!。円筒形の12階建て。1階はレストランはホテルのバイキング形式。分厚いステーキ。みずみずしいベジタブル。色とりどりのフルーツ。何種類ものジュースとアイスメーカーがあって、氷はスコップで取り放題。そのころの日本の冷蔵庫は氷を12粒つくるのに一晩かかった。6人家族なら一人2個ずつ!と行儀よく分け合って、だいじに氷を眺めた。そんな時代。「こりゃあ、戦争に負けるわ・・・」これが私の印象だった。兵隊さんごめんなさい。

      1974年当時は、ちょくちょく海外へいけるなんて思っても見なかった。新婚旅行は宮崎と相場が決まっていた。その次に私がハワイへ行ったのは9年後の1983年。その時1ドル=248円 海外旅行の自由化が進みだした。でも、エアチケットはボッタクリほど高く、「日本の若者がもっと国際的になるため!」とHISの社長が個人で努力を始められた時代。

      魅力は気候。これを日本に持ち帰りたい

      そのあと私はハワイフリークになり、毎年ハワイを尋ねるようになった。何度いっても、また行きたくなる。その魅力はハワイの気候。椰子の木陰にいるとクーラーはいならい。夜の浜風がここちよい。私はハワイで暮らす方法を真剣に考え始めた。せっかく建築を勉強したんだから建築を極めたい。でも、この語学力じゃトラブルの元。だったら、寿司屋かラーメン屋か市内観光の運転手でも(でもとは失礼)するか・・・とも考えたが、なかなか踏み切れず・・・

      ある時、発想の転換ができて、「ハワイの気候を日本に持って帰れば、自分だけじゃなく、日本の皆様に喜んでもらえるかも・・・」と思った。そこで、ハワイの気候と日本の気候の違いを調べたりしたが、具体的にどうすればいいかわからず、年月は経ち、いつの間にか思いは薄れてきた。

      教えを請うため札幌へ

      1999年に発刊された「日本のマンションに潜む、史上最大のミステーク」は北欧における省エネ断熱の本ではあったが、私にはグッときた。これは私の夢につながる技術じゃないか? さっそく札幌に飛んで、著者の江本央先生に教えを請う。

      その後、研究を重ね、ここち良い条件は温度と湿度の調整以外の条件があることが解った。つまり、床・壁・天井の温度と室内の空気の温度が同じにすることが条件だった。それまで、冷暖房といえば、部屋の空気を冷やしたり温めたりすることと思っていた。2007年でもそう思っている人は多いはず。あとは適当な気流、つまりそよ風がだいじな要素となる。

      住宅ローンから解放して幸せにしたい

      パリの通路日本人の生涯賃金は約1億7000万円といわれています。もしその人が4000万円の分譲住宅を買ったとしたら、元金と金利を合わせて一生に払うお金は6500万円になります。 何にお金を使い、何に満足するかは人それぞれですが、それにしてもちょっと住宅費にお金がかかり過ぎだと思いませんか?

      ちなみに、「世界幸福度ランキング」というのがありますが、日本はだいたい90位くらいだそうです。「幸福」の捉え方は国によっても違うと思いますので、そもそもランキングすること自体に無理があるかもしれませんが、それにしても日本はもう少し上位にあってほしいし、あるはずだと思うのです。

      日本は夜中に女性が一人歩きできるくらい安全です。餓死するひとはまずいないし、暴動も起きません。スリも少ないです。余談ですが先日パリへ家族旅行したとき、私は財布をスラれて、すってんてんになりました。また、ロンドンでは若者の暴動と略奪が頻発したのも記憶に新しいところですね。なのに、なんで日本が90位なの?

      私は建築の世界からしか提案できませんが、もし、一生につかう住宅費が1000万円くらいで済んだら、ずいぶん生活に余裕ができるし、精神的にも楽になって、人に優しくできて、みんな幸せになるんじゃないかと思うのです。 そんな家づくりをしていきたいと思います。

      趣味

      ジャッキーチェン趣味は映画と音楽(聴く)。2007年の映画でよかったのはダイハード4.0とホリデイ。今回のダイハードは男同士の友情に感動した。強い男と賢い男。賢い男ははじめは迷惑そうだったが、協力して生き抜くことで友情がめばえた。コンピュータ犯罪という超現実的なストーリーにも迫力があった。私の好きな俳は優ブルース・ウィルスと渡辺健。ハゲてもカッコいいのはこの二人くらいのものだ。

      尊敬する俳優はジャッキーチェン。彼は本当にまじめな人だ。人に勇気を与えるだけでなく、恵まれない人を援助する。私も少しは見習いたい。ホリデイは私の人生に夢を与えてくれた。なかばマンネリ化していた私の人生。「人生まだまだ楽しいことがあるかも・・・」とマジで思わせてくれた作品。美しくゴージャスな画像も良かった。

      pr-myhouse私は音楽とともに暮らす。仕事のある朝は突撃ラッパがわりに「はしだのりひことクライマックスの花嫁」を聞く。仕事の無い日はハワイアン。ハワイアンはナレオかレイチェル。オノ・リサのボサノバは気楽でいい。クラシックは嫌い。なぜなら「さあ真剣に聞けよ!」という自己主張が嫌。ボサノバは「勝手に歌ってますよ〜♪聞いても聞かなくてもいいですよ〜♪」という感じが好き。

      お酒がはいると、ボウ・ヤタニのカントリーを聞く。しみじみ聞く。ボウ・ヤタニも尊敬する人の一人。彼の店は京都の宝ヶ池の乗馬場の隣にある。彼がまだ20代のときにお店をつくって35年以上経つ。ひとつの店を35年も守るのは並大抵ではない。しかもカントリーという商売になりにくいジャンルで。でもボウ・ヤタニはカントリーで勝負する。男の中の男。私は彼のソウルを聞いて今宵も泣く。

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