賃貸マンションの近代史

賃貸マンションの近代史を調べていたところ、都市環境デザイン会議関西ブロックで2001年に岡恵理子先生が行われたセミナー 「大阪における集合住宅の形成史・歴史を振り返り、新たな市街地住宅を展望する」という、 ピッタリの論文がありましたので、ここで紹介させてください。(私、Mac安田が勝手に抜粋させていただきました)

戦前

今宮住宅

今宮住宅

今宮住宅

戦前の大阪にも同潤会アパートメントとならぶ、お洒落なマンションの取り組みがありました。たとえば関一と片岡安作品の今宮住宅です。中庭を配した開放的な設計で、ご覧の通りなかなかのデザインです。

下寺町住宅

下寺町住宅

下寺町住宅

ミラノのビクトリア集合住宅の様式を取り入れた下寺町住宅は、1階が店舗、上階には単身者用アパートも組み込まれた様々な住宅様式が入っていました。
水道やガスはもちろん、ダストシュートもついていました。

戦後

ところが第二次世界大戦の空襲によって大都市のほとんどが焼け野原になり、そこへ大勢の兵隊さんが外地から引き揚げてきたので 深刻な住宅不足に見舞われました。

戦後の住宅難

戦後の住宅難

併存住宅

併存住宅

併存住宅

住宅建設を促進するため住宅金融公庫法ができ、東京や大阪に住宅協会がつくられ、公団法が公布されて日本住宅公団ができました。
そして建設省住宅局によって「併存住宅」が企画されました。併存住宅とは「店舗などの上に住宅をのせた中高層の建物」のことであり、その意義は下記のとおりです。

  1. 住宅用地難の解決(郊外で土地を求めるには造成に金がかかる。都心で更地を求めると高くつく。併存住宅に住むことでこれが解決できる)
  2. 都市計画上の意義(市街地をコンパクトにつくることで、交通網の延長や都市施設を新たにつくる必要がなくなり、合理的な都市開発ができる)
  3. 市街地の不燃化(空襲で大阪の家屋のほとんどが焼失してしまった)

この三つの考え方をうまくまとめたものが併存住宅だということで、戦後の都市では盛んに提案されました。実際、どのような使われ方をしていたかというと、基本的には下で働いている人が上に住んでいたようです。併存型住宅を企画した人に聞いたところ、下の店舗で働く人が払える家賃で上の住宅を貸し出せるような建物を目指したそうです。

年表を見ると、府協会は1963年に建設をやめています。なぜやめたか。その最も簡単な回答は「千里ニュータウンが開発されることになって、担当者がみんなそっちへ回され、 併存住宅を手掛ける人がいなくなったから」だそうです。

千里ニュータウンの開発

千里ニュータウンの開発

千里ニュータウンは1970年の万国博覧会場であり、日本の高度成長の発表会の役をになった場所です。

大阪万博

大阪万博

各都市ごとの併存住宅のデザイン

各都市によってデザインの方向性にも特徴がありました。

大阪

洗濯物を表から見せない計画

洗濯物を表から見せない計画

大阪の場合、特に大阪府住宅協会では「表から洗濯物が見えないように設計する」ように指導していました。なぜなら下の階には店舗などが配置されており、事業のイメージが崩れないように配慮したわけです。

横浜

住宅なんだから洗濯物が見えてもいいじゃないか

住宅なんだから洗濯物が見えてもいいじゃないか

ところが横浜市の場合は逆で、バルコニーを表に配した計画が大半でした。神奈川県の供給公社では「住宅なのだから洗濯物が表に出てもかまわないじゃないか。洗濯もので満艦飾になっている光景が私は好きだ!」とのことだったらしいです。(満艦飾:祝祭日などに、停泊中の軍艦が艦全体を信号旗、万国旗などで飾り立てること)

洗濯物問題の解決

洗濯物を表から見えないように工夫した花園住宅

洗濯物を表から見えないように工夫した花園住宅

洗濯物問題を解決する素晴らしい例が大阪市九条にある花園住宅です。

1階は協栄市場になっています。この建物には中庭があり、吹き抜けになっていて洗濯ものはそこに干します。写真に見える1階と2階の隙間について担当者に尋ねたところ、「下が市場で上が住宅なんだから、すき間を開けないと変だ」という返事でした。

大阪市の併存住宅建設事業は今では行われていませんが、大阪の耐火建築集合住宅の先駆けでした。

民間集合住宅

次に、これに追従する形ででてきた民間の集合住宅の流れを追ってみたいと思います。1970年代に入っても、大阪市の民間のマンションの数はほんのわずかでした。急激に増えるのは1980年代に入ってからです。分譲マンションが建ち始めたのです。

なぜこんな動きになるかというと、1970年に建築基準法が改正され、それまでの高さ制限が撤廃されて、容積率という制限に変わったからです。また、住宅金融公庫の個人向け融資もそのころに確立されています。それを受けて、東京では1970年代に分譲マンションが急増するのですが、大阪では1980年代にその波がやってきたというわけです。

マンションらしくない外観が人気

マンションらしくない外観が人気

1970年代に建てられたマンションを歩いてみると住民は老人が多いのですが、島之内や西区の一部のマンションには若い人たちに人気があります。どうも「マンションらしくない」点が人気を集めているようで、オフィスビル的な建物を見つけては入居する傾向にあるようです。

いかにも「いまどきのマンション」タイプばかりが人気を集めているのではなく、オフィスビルのような市街地らしい建物も好まれていることがわかります。特に、そこを仕事場にしたり、仕事をしながら住んでいる人たちには、自分の仕事へのイメージも考えて「良い建物に住みたい」傾向にあるようです。

若者に人気のある併存住宅

若者に人気のある併存住宅

いま、昔の併存住宅には、建築、デザイン関係の人がずいぶん入居していますが、ひとつのステータス的なものとして選ばれたようです。そういった若い人たちの嗜好を見るにつけ考えてしまうことは、「今建てられつつあるマンションはそのような視点に将来こたえられるのか?」ということです。

中庭を一工夫して、ちびっこ広場に

中庭を一工夫して、ちびっこ広場に

併存住宅や1970年以前のマンションで工夫されていた様々な要素、中庭や屋内階段のなど、 建築物が主張できるような要素をこれからのマンションも考えていかないといけないと思います。

また、ニュータウンができる前であり、公団おきまりの団地型2DKがなかったときですから、マンションの間取りは、田の字型であったり、 畳敷き廊下だったり、書斎やサンルームなどがあったりして、それぞれ魅力的な建物でした。

逆に1980年~90年代のマンションは中に入らなくても、想像がついてしまいます。

面白くないお決まりのマンション

面白くないお決まりのマンション

予想通りの位置に階段があって、同じような住戸ユニットが並んでいます。魅力がありません。昔の高層建築は非常にお金がかかったこともあり、ひとつひとつ大切に設計されていたのでしょう。


ここまでが、都市環境デザイン会議関西ブロックで2001年に岡恵理子先生が発表された内容です。ここから先は、私、Mac安田の見解です。

昔の人は賃貸マンションや店舗について一生懸命考えて、大切に設計してきたのですね。 近年のように、型で押したようなマンションを造っていなかったのです。でも、戦後の深刻な住宅不足を補うために、「人間を入れる箱」を大量生産しないといけない時代もありました。 それは必然だったわけですが、そんな時代はとっくの昔に終わりました。

なのに未だに「人間を入れる箱」としか言いようのないマンションを大量生産しているのが現状です。情けないです。ですから当然、供給過剰になり、家賃下げ競争になります。 同じ専有面積で同じ間取りのマンションなら、駅から近い順に値段が決まります。

駅から遠いマンションが値下げすると、情報はネットで瞬時に広まり、同じ専有面積で同じ間取りのマンションは揃って値下げするしかありません これは賃貸マンションに住む人をバカにしてきた、マンション業界に天罰が下ったのだと思います。

私は、すでに次のことを実行しています。

  • 賃貸マンションのコンセプトを明確にし、入居者のターゲットを絞る
  • 地域の特性にマッチングした企画にする
  • 入居者が不満に思う部分は絶対につくらない
  • 見に来てくれた人の期待以上のサプライズを用意して感動してもらう

供給過剰なのにターゲットを絞ることについて疑問を持たれるかもしれませんが、 供給過剰というのは単に世帯主の総数に対してマンションの総数が多すぎるだけのことです。「供給過剰なんだから、今さらマンションを作っても、もう遅い?」これではあまりに単純すぎます。

現実はずっと満腹状態が続いているわけです。日本の供給能力はたいへん優れているので、今後、供給不足は起こらないでしょう。

そもそも、「供給」という言葉をつかうこと自体おこがましい気がします。 私なら、「あなたのことを一生懸命考えて、新しい生活をお楽しみいただけるマンションを企画する人」と言い変えたいです。ちょっと長いですが・・・

また、「消費者」という言葉をつかうことも申し訳ない気がします。 「これって、もしかして、私のために考えてくれたの? と感激した時だけ買う人」と、言い換えたいです。これもちょっと長いですが・・・

というわけで私は、マンション経営者には経済面で喜んでもらうのはもちろんですが、 良い街づくりをしているという誇りを持っていただけるマンションを設計したいと思います。そして入居してくださる方には、ご自分の生き方、生活スタイルを満喫していただけるマンションを企画していきたいと張り切っています。